写真と共に受験時代を語る講師トーク その③~壱城あずさ~
──クラレスの講師の方々ご自身が、宝塚音楽学校の受験準備をされていた頃や、音楽学校に入学されてからの思い出やエピソードを、
当時のお写真を見ながら語っていただくトークシリーズの第3回目として、Classy Lessons Osaka 代表の壱城あずささんにお話しを伺います。
まず1番最初のお写真ですが、こちらは新体操をされていた頃のお写真ですね?
はい。私は3歳か4歳ぐらいから新体操をはじめました。それも自分でやりたいと言い出したんですよね。
──そんなにお小さい頃に?
そうなんです。と言っても絶対に新体操をと思っていたのではなくて、とにかく踊りたい、踊りたいと言っていたそうなんです。
TVで踊っている人って、とても楽しそうだなと3歳ぐらいから感じていて、フィギュアスケートにもすごく興味があったのですが、
たまたま家の近くに新体操のお教室があったので、じゃあ新体操をということになって、姉と一緒に習い始めました。
実は私、姉に対してコンプレックスがあったんですね。
姉はとても綺麗で、愛想も良い皆の人気者で、私は何をやっても姉に敵わないという感じだったんです。
でも新体操を始めたら「私、お姉ちゃんよりちょっと踊りができるのかも」と思えて。それがずっと続けようと思った1番の動機だったように思います。
──やはり幼い時ほど、得意なものは何か?がわかりませんから、その出会いはとても大きいことだったろうと思いますが、
次のお写真はピアノの発表会のものを2枚いただいています。
こちらもまだ足が床についていませんからかなりお小さい頃ですね。小学1年生くらいでしょうか?
そうですね。ピアノをはじめたのが、幼稚園か小学1年生になったくらいの頃だと思います。
ピアノに関しては自分でやりたいと言ったわけではなく、母の勧めで始めたのですが、
私は宝塚に出会ったのが高校2年生の時だったので、ほぼ何もわからないまま受験して一次試験で落ちて、
本格的な受験準備は1年間しかなかったんです。
でも、その1年間で間に合ったのはピアノを習っていたことが大きかったなと。
まず音符が読めたので、歌としては下手なんですけど、音符通りに歌うことはとりあえずできたので、
それは本当に母に感謝していますから、この写真はお見せしたかったんです。
──ピアノを習われていたことが、宝塚受験に役立たれたという意味で、思い出深いのですね?
はい。ですから宝塚受験を本格的に考えるというご年齢ではなくても、お子さんが宝塚を楽しくご覧になっていたり、
お母様もいずれご本人が受験したいとおっしゃったら考えてもいいかも、というようなお気持ちでいらしたら、
まずピアノは習わせてあげて欲しいと思います。
──そんなに大きな影響があるんですね。
ありますね。「新曲視唱」といって、楽譜を渡されてすぐに歌う試験があるので、
例えば私のように受験準備が1年しかなかった場合に、
その期間で音符を読めるようにして、音程を取って、リズムも覚えるとなると間に合わせるのは相当大変だと思います。
ですからまずピアノを小さい頃から習っているのは、すごく大事なことです。
──それは盲点と言いますか、すぐには結びつかないところなので貴重なお話です。
ピアノ教室は本当にたくさんありますから、習い事としてもハードルが高くないですし。
そうなんですよね。耳も育ちますからまずお勧めしたいです。
──そして、次のお写真、こちらは新体操の大会に出場されているものですね?
これは全国大会に出た時のものです。
新体操は先ほども言いましたように、自分の意志で絶対に続けようと思っていましたから、新体操部が強い武庫川女子大学の付属中学を受験したんです。
そこから中学、高校とひたすら新体操に明け暮れる生活を送っていました。
キャプテンとして全国大会に2回出場させてもらっていて、その時の写真です。
宝塚受験っていまは一次が面接、二次が実技と面接、三次にまた面接と続くので、もちろん実技の点数も大切ですが、
こういうバックボーン、部活に必死で打ち込みキャプテンを務めてみんなをまとめ、全国大会にも行っている、そういう経験は絶対に見てくれていると思います。
ですから、宝塚受験のために学校生活や部活動などは全部最低限にして、
ひたすらバレエのレッスンばかりしている、ということだと難しいんじゃないか、と私は思っているんです。
ちゃんと学校生活で人間関係をきちんと構築してきました、という経験は絶対にみてくれていると思っているので。
私は宝塚受験で首席合格させていただいているのですが、そうしたことが加味されていなければ、
私が首席で入れるはずはないと思うんですよね。
──壱城さんが厳しい倍率のなかから選ばれた50 人(※宝塚音楽学校 89 期生の合格者は 50 人でした。)の、
さらに首席で合格されているのはとても有名ですが、
ここまでのお話から受験を考えられたのが高校2年生ということで、宝塚とそもそも出会われたきっかけは?
高校2年の秋ぐらいに宝塚の大ファンの母の親友の方から
「背も高いし、新体操をやっているから踊れるし、男役向いていると思うから1回受けてみたら?」と勧められたんです。
私は新体操一色の人生で、宝塚のことは名前は知っているという程度で、全くどんなところなのか知らなかったので、
ビデオを送っていただいて初めて観たのが姿月あさとさんのトップ披露公演『エクスカリバー』でした。
その瞬間、こんなにキラキラした世界があって、カッコいい人がいるんだ!と姿月さんに恋をした、
と表現したいくらい憧れたんです。
──所謂「落ちた」という状態ですね。
そうです、そうです!それで小さい頃習っていたピアノの先生に連絡して、ちょっと歌をみていただいたりしたのですが、
あっという間に3月になってしまい、受験したのですが一次試験で落ちました。
何も準備していないに等しいですから、落ちて当然なのですが、その時とても悔しかったんです。
そこで火がつき「来年絶対に受かってやる!」と思いました。
ちょうどその最初の受験近辺で、初めて大劇場の客席で宝塚を生で観たのが
『LUNA』と『BLUE MOON BLUE』の2本立てで、さらに「絶対にここに入る!」という気持ちが強くなりました。
──そこから1年間は、どんな頻度でレッスンをされたのですか?
まず親に相談して「絶対に受かりたいので協力してください」と頼みこみました。
その時とても運のよいことに、受験スクールではなかったのですが、
父の友人の奥様が元宝塚の方で、受験生のレッスンをされていることがわかって、すぐにお会いしました。
そのお教室には土日に東京から歌の先生が来てくださっていたので、その方にも見ていただくことになって。
レッスンには毎日行きましたし、通知表を提出しなければいけないので、学校の勉強も頑張りました。
この1年間はどの受験生よりも頑張った、と自負しています。
──ストイックであると同時に、ご自分の努力に対してポジティブでもいらっしゃいますね。
それはすごく大事だと思うんですよね。ポジティブでいることってすごく大切で。
例えば私はバレエのレッスンは、高校3年生の春からはじめた、受験生のなかでも相当短いと思うんですけど。
──それが次のお写真ですね?こちらはバレエの発表会でしょうか?
そうです。高校3年生の夏か、秋だと思います。
一緒に写っている足を上げている子が同期生の花夏ゆりんで、同じバレエ教室で一緒に宝塚受験を目指して頑張っていました。
この発表会で踊ったのが『ウエスト・サイド・ストーリー』のワンシーンなのですが、
ここで男役として踊らせてもらったこともすごく大きなことだったんです。
男役メイクをしていただいて、自分でも鏡を見て「あ、カッコいい、私向いているかも」と思えましたし、
周りの方たちからも「とてもカッコ良かったよ!絶対いけるよ!」と言ってもらえて、すごく自信になりました。
ですから、自分でやれることは全てやったと思えることと、
こうした受験スクールで、同じ目標を持った人たちと切磋琢磨して、一緒に頑張ることで得られる自信もとても大きなものだと思います。
──その成果が形になったのが、次のお写真、
宝塚音楽学校の入学式で、新入生代表の答辞を読まれているところですね?
結局1年間しかレッスンしていない私が、こうした立場で入学することができたというのが、すべてを物語ってくれているのかなと。
同期のなかで私よりバレエが踊れる子、歌が上手い子、綺麗な子はたくさんいたんです。
でも先ほどからお話しているように、部活動でリーダーシップを取ってきた経験や、
1年間できることはすべてやってきた、という自信、絶対に入るんだ!という強い意志、
そういうものを総合して点数を入れていただけたと思っています。
受験当日にもコールユーブンゲンと新曲視唱があるのですが、
歌い終わって出てきたら本科生の方から「あなた音程もリズムも完璧で本当によかったよ!」と言っていただけたんです。
それでさらに自信をもって他の科目に臨めたこともあります。ですから決して宝塚受験は技術点だけで決まるものではないんです。
──壱城さんの愛称のひとつに「ガッツ」がありますが、お話を伺うほどにガッツの塊でいらっしゃるなと思いますし、前向きな姿勢が大切なんだなと。
本当にそうで、特にいまの受験生たちに言ってあげたいのは、自分の良いところに目を向けて!ということなんです。
私はなんでもできる姉がいて、劣等感をずっと持っていたからこそ、私のいいところは?を見つけ出すのが上手かったんだと思います。
それは受験生にとってもすごく大事なことで、どうしてもここが人より遅れている、できていない、というところに目がいきがちなのですが、
そうではなくて、ここは人よりできる!ここは誰にも負けない!というものをそれぞれ見つけて欲しいんです。
私たち講師も、この子の良いところはこれだ、というのを見極めてそこを伸ばすレッスンをしていきますから、
絶対に「私なんか」と思わないで欲しい。例えば受験用願書写真撮影会をクラレスではやっているのですが。
──このレオタード姿のお写真が、壱城さんの願書写真でしょうか?
これは実際に願書に使ったものではないのですが、願書写真を撮るにはどういう表情をしたらいいか?どういう角度で撮ったらいいか?と試行錯誤していたなかの1枚です。
当時は黒のレオタードと決まっていて、写真もモノクロだったのですが、
いまはカラーでも私服でもレオタードでもいいという形で、自由になっている分よりセンスが問われるんです。
この子もっと綺麗なのにこの洋服があまり似合っていないな…ということが実際にあるので、
クラレスの願書写真撮影会ではとことんイメージづくりからこだわりますから、是非レッスンを受けて撮影会に参加して欲しいです。
──実際に受験を見事突破された方たちのアドバイスで、プロカメラマンに撮影してもらえるというのはすごいことですよね。
それが音楽学校生活を満喫されていると感じられる最後のお写真につながる訳ですね。
こちらは宝塚音楽学校の修学旅行でしょうか?
本科生の時の修学旅行で北海道に行った時のものです。
もう本当に楽しい思い出なので、皆さんに見ていただきたいなと思いました。
──制服もよく似合っていらして素敵ですね!
ここまで色々な角度から受験に至るまで、また受験準備の過程をお話いただきましたが、
改めていまの受験生の方々、また受験を考えていらっしゃる方に伝えたいことをまとめていただくと?
私は1度受験に失敗しているので、その悔しい思いも十分わかっていただけに、合格できた時には落ちた人の分まで頑張らないといけない、という強い気持ちがありましたし、
1年間の受験準備でもう悔いはない、と思えるほど頑張った記憶は音楽学校、さらに劇団に入ってからも、ずっと私を支えてくれる力になったと思います。
ですから、受験生の方たちにもとにかく全力でやって欲しいし、こんなに頑張って落ちたらどうしよう、という不安があるのはもちろんわかるのですが、
もっと自分を信じて、私は絶対に受かるんだと思って前に進んで欲しいんです。
せっかくお金と時間をかけて、中学、高校という青春時代を宝塚受験に懸けて過ごすのですから、
頭で考えなくても身体が自然に動く、というところまで頑張って欲しい。
それには親御さんにもどれだけ本気で入りたいのかを伝えて、協力していただくことに感謝を忘れずに日々のスケジュールを立ててください。
やっぱり宝塚は入ってからもずっと自分磨きを続けて、自己プロデュースをしていくことが不可欠な世界なので、
夏には自分はこうなっていて、冬にはこうで、という目標を定めてクラレスの冬期講習、模擬試験などを活用してください。
宝塚音楽学校は高校3年生までしか受けられないタイムリミットがあるので、時間は本当に大事です。
目標に向かってひたすら努力することは、ご本人の人生に於いても決して無駄にならない、大きな糧になりますから、限られた時間を大切に頑張っていきましょう!
聞き手/橘涼香(演劇評論家・ライター)