写真と共に受験時代を語る講師トーク その⑥~湊璃飛~
──クラレスの講師の方々ご自身が、宝塚音楽学校の受験準備をされていた頃や、音楽学校に入学されてからの思い出やエピソードを、
当時のお写真を見ながら語っていただくトークシリーズの第6回目として、クラレスジャズダンス講師の湊璃飛さんにお話しを伺います。
最初に赤い衣装でバレエを踊られているお写真をいただきましたが、こちらはいつ頃のものですか?
中学1年生で、バレエのコンクールに出た時の写真です。『海賊』のバリエーションを踊っているところです。
──コンクールにお出になるくらい、本格的にバレエに取り組まれていらしたのですね。中学1年生でコンクールとなると、相当幼い時から習われていたのですか?
3歳から習っていました。私には4歳年上の姉がいるのですが、元々は母がスポーツをやっていて、身体が固く怪我が多かったらしくて、
娘には身体を柔らかくさせたいという思いから、姉にバレエを習わせたという経緯があったので、自動的に妹の私もやる、という感じで習いました。
──なるほど、素敵なお母様ですね。でも3歳からはじめられてずっとお続けになったということは、ご自身もバレエがお好きで?
そうですね、お勉強よりも体を動かすことが好きだったので(笑)全く苦ではなかったです。
私は姉をとても尊敬しているので、少しでも姉に近づきたいと言いますか、妹として恥ずかしくないように頑張りたいという気持ちが強くあったので、姉の背中を見ながらずっと同じバレエ教室に通い続けました。
このコンクールは姉も出たことがあって、曲は違ったのですが同じ『海賊』のバリエーションを踊っていたので、同じ演目を踊れたのがすごく嬉しかったですし、
姉にも色々みてもらって、コンクールのためのレッスン、技術面の向上や、足を綺麗に高く上げるですとか、綺麗に回るということを強く意識していた時期です。
──お姉様が目標でいらしたということもあって、ずっとバレエに励まれていらしたのだなと感じますが、宝塚をお知りになったのはいつ頃だったのですか?
小学5年生の家族旅行で宝塚の方に行った時に観劇したのが最初です。
演目が『スサノオ』で、当時私はその時代の本を読んでいたこともあって、スーッと世界に入り込めて夢中になって観ていました。すごくきらびやかで、本当に異次元の世界だなと。
私は香川県出身なので、周りにバレエをやっている子も多くなかったですし、舞台に立っている方も身近にいなかったので、「受験したい!」というような現実的な思いではなかったのですが、帰りの道中で「私がもし入ったとしたらどんな芸名にするか」で盛り上がったんです。
──あぁ、わかります。そういう憧れは抱きますよね。サインの練習をしてみたり(笑)。
そうです、そうです、本当に憧れだけでただ夢をみていたという感覚でした。
逆に私が入れっこないと思っていたのですが、中学3年生になったら受験することは誰でもできるという話になって「じゃあ中3になったら受けようかな?」とは言っていたそうなのですが、その時点では現実感は持っていなかったと思います。
──引き続きバレエに邁進していらしたのですね。そこで次のお写真が、白い衣装で綺麗にジャンプされています。
これは発表会よりは少し大がかりな、公演の方に近いかな?という舞台で、猫の役を踊っていたところです。
それまでは先ほどもお話しましたように、コンクールを目標に技術面の強化をずっと意識していたのですが、この猫を配役された時に、技術だけではなくて、表現力とか何よりも猫らしさを如何にして出すかという、演技を含めた踊りがとても楽しかったんです。
それまではどうしたらより綺麗に足が上がるか、回数をたくさん回れるか、ということを考え続けていたので、踊るってこんなに楽しいことなんだと思えて。
──ご自身としては踊りに対する認識が変わった、大きなポイントなのですね?
はい、すごく大事な思い出です。
──そこからいよいよ宝塚受験なのかな?というところで、お写真が一気に変わりましてこちらは陸上競技のお写真ですよね?陸上に取り組まれたのはいつ頃ですか?
小学5年生の時からやってはいて、中学時代も1年の時から陸上競技部に入っていたのですが、気持ちとしてはまだバレエの方が優先でした。
種目が走り高跳びだったのですが、小学生ははさみ跳びと決まっていたのが、中学になると背面跳びの方が高く飛べるので変えなければいけなくて、習得するのにとても時間がかかってしまって。
自分としてはずっと習っているバレエを頑張りたいと思っていたので、陸上は部活動としてちょっと所属しているという形でした。
──とは言え、このお写真は相当大きな大会ではないですか?
跳んでいる姿の写真がジュニアオリンピックという大会で、赤いマットの方が、県大会の写真です。
私が中2の冬に姉が東京バレエ団のオーディションに受かって、東京に行くことになりバレエで生きていくと決めたんです。
私も続きたいと思っていたのですが、陸上部のコーチが「身長も大きいし、今から頑張れば全国を目指せるからちゃんと冬のトレーニングに出なさい」と言ってくれて。せっかくそう言ってもらえるのだったら、頑張ってみようかな、と思って本腰をいれてやり始めたんです。
──先ほどのお話ですと、部活動として所属しているという感覚だったということでしたが、もちろんご本人の身体能力もですが、コーチの目もすごいですね。結局こうした大きな大会、全国大会にまでちゃんと行かれているんですから。
一重にコーチに恵まれたと思います。私も一期上の先輩も一期下の後輩も全国大会に出ているので、指導がすごくうまい先生で。
でもこうなってくると、周りからもバレエか陸上かをちゃんと決めなさいと言われるようになって。
でも当時中2の私にはどちらかを選択するという気持ちはなく、バレエも陸上も続けられる限り両方やりたいと思って、部活が終わったあとバレエのレッスンにも行く、という形で続けていました。
──両立されていたんですね。そして表彰台の一番上に立たれているお写真になりますが。
全国大会に行けるかが決まる大会での表彰式です。
高跳びって1位になったから全国大会に行けるわけではなくて、標準記録の157cm以上を跳ばないと全国大会に行けないんです。
それも二大会のなかで飛ばないとダメなので、跳べるかどうかとても不安でしたから、この表彰式はそれが実現して本当に嬉しかった時です。
やっぱり一人で戦わなくてはいけないので、この経験を経ているからこそ、今の自分があるというのはすごく感じています。
舞台の本番ってとても緊張するのですが、バレエのコンクールや、陸上の大会でその緊張の収め方をわかっていたというのが、いま支えになっていると思います。
──すべてがつながっているんですね。ただ中学生の段階で、陸上でこうした成果を上げていらっしゃると、陸上を続けて欲しいという声も多かったのではないかと思いますが、そこから宝塚受験に向かうきっかけはなんだったのですか?
中学3年生の時に結構成績が良かったので、高校でも是非続けてくださいと言われていましたし、記録が数字ではっきり見える陸上の方に、自分の気持ちも傾いていたんです。
陸上競技って高く跳んだ人が1位と、すごくハッキリしていますよね。でも芸術の世界って身長の問題とか、まずこの役に合っているかとか、好みとか、評価の基準がわからないことも多いですから、こうした記録が目に見える世界っていいなと。
──それは同じスポーツでも、フィギュアスケートや体操など、芸術点が評価に加わる種目の方もよくおっしゃいますね。
そうなんですよね。それでもうバレエはやめようと決めた中3の時に、母が絶妙なタイミングで宝塚受験の願書を出してくれたんです。
「中3になったら受けたいって言ってたけど、バレエをやめたらもう受けられないから、ここで受けるだけ受けてみたら?」と。
──それは、お母様すごいですね!
私も根が単純な人間なので(笑)、確かにバレエをやめたら受けられないから、最初で最後という気持ちで1回受けてみてもいいかな?と。
──そうしますと、受験準備としてはどんなことを?
いま思うと、クラレスのように土日にちゃんと受験準備の為のカリキュラムがしっかりあるスクールに通うことができたはずなのですが、
香川からは無理だと家族中で思い込んでいたので、受験スクールの密着番組を一生懸命見てイメージトレーニングをしたり、家族全員で調べられることを調べて、小さい頃に習っていたピアノの先生に歌をみていただくなど、地元でできることを頑張ったという感じでした。
──ご家族の大きなサポートのなかで受験されたわけですね。その受験当日のことで、特に心に残っているエピソードはありますか?
受験自体はすごく楽しく受けられたのですが、ダンスの試験の時に「私、これで踊るのは最後なんだ」と思ったんです。
宝塚受験を終えたら陸上に専念すると決めていたので、ここで落ちたらもう踊ることはないんだと思ったらとても寂しくなって。
もしかしたら私もっと踊りたいのかな?と、すごく思った記憶があります。
──そこで神様が「踊りなさい」とおっしゃったということですね、見事宝塚音楽学校に合格されたわけですから。
本当に運が良かったんだと思いますが、宝塚音楽学校に入れていただき、宝塚歌劇団の一員になれたことで、いまの私がありますし、
そこに至る道程でやっぱりバレエを続け、陸上も頑張ったことが支えになっているので、いまクラレスで頑張っている生徒さんたちにも、とにかく全てに全力でぶつかって欲しいなと思います。
みんなとても真面目だし、すごくいい子たちばかりで、生徒さん同士の関係性も本当にいいんです。
お互いがライバルというよりは、一緒に同じ場所を目指している仲間になれていて。やっぱり人を蹴落としてというのではなくて、自分自身を極めるということが私は大事かなと思うので、その点は特にいいなと思っています。
その上で、色々なアドバイスを受けた時に、委縮しないでまず100%でやってみて欲しいなと。
例えば「笑顔で!」と言われたとしたら「いや、そこまで笑わなくていいよ」というぐらいの笑顔でやってみる。そうしたらきっと新しい発見があるし、新しい自分に出会えるので。
──そこを躊躇してしまうのはもったいないということですよね。
そうですね。もうひとつ「ここができなくて」と言ってきてくれる子達がとても多いんですが、もちろんできないことをよくしていくのも大事なことですが、その子にしかないところ、持ち味を伸ばしていくのも大切だと思います。
宝塚ってこういう人しか入れません、ということは絶対になくて、可能性や将来性も必ず見てくださるところだと私は思うんです。
ですから、自分の個性はどんなもので、いいところはどこなのか?を、私たち講師もどんどん言っていきますから、
「あぁ、そうなんだ」と受け身で聞くだけではなく「ここが私のいいところなんだ!」と自分でも捉えて、そこをより磨くように、前向きにアプローチできるようにしてもらいたいなと思います。
──それは素敵なことですね。チャームポイントを伸ばしていくという。
まず絶対に自分のことを嫌いにならないで欲しいんです。
誰もがこの世界の中で一人しかいない、その人だけの個性を持っているんですから、誰にも負けないところ、いいところは絶対あると思うので、
そこを認めてあげた方が試験官の方にも伝わって、この子の持ち味は欲しいなと思ってもらえると思いますから、それはすごく伝えています。
また、例えば試験でひとつ失敗してしまったとしても、その後の処理で全く違ってきてしまう。
それこそ舞台でも毎日のことですから、間違ってしまうことはあると思うんですが、そういう時こそ笑顔を忘れないでいれば、表情も絶対に審査の中に入っていると私は思うので印象は全く変わります。
やってみないと分からないことって本当にたくさんあるし、何かを選択をしなければいけないのであれば、やらないという選択肢は絶対に取らないで欲しいなと。
例えば、大学受験か宝塚受験かって、悩む時期が皆さんあると思いますが、宝塚は人生で4回しか受けられないという制限があるので、そこはせっかくのチャンスですから、4回しっかりやってみて欲しいです。
その経験は絶対に無駄にならないし、大学に行くにしても、別の舞台に立つにしても、振り返って「あと1回受けられたのにどうして受けなかったんだろう」という気持ちが残る方が辛いと思うんですよね。
ですから、自分の個性を伸ばして、最大限チャンスをつかめるように私たちも伝えていきますから、是非前向きにレッスンをしていきましょう!
聞き手/橘涼香(演劇評論家・ライター)